池田節子『紫式部日記を読み解く』

国文学の視点から紫式部日記を読み解き、宮仕え生活の中で式部が何を感じていたのかを推論する。

親しみやすい語り口ながら、説得力のある解釈で面白い。

「日記は彰子をはじめとする道長一家を賛美するために書かれたもの」「式部は慎ましい女が好き」といったイメージが再考させられた。

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”女たちへの眼差し”

著者は、称賛の表現が大仰な割に具体性を欠くことから、式部の中宮彰子に対する突き放した視線を指摘する。女房たちの悪戯に気づかない邪気のない姿は、女主人としての彰子の実力不足が描かれてしまっている。

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紫式部日記に対して、何となく意識しないまでも感じていたこと、「彰子への賛美は白々しい」という同書の解釈である。

別に『枕草子』だって定子が具体的に美人だとか書いていないけれど、「琵琶に…額の白く鮮やかにて」とか「指先のかすかに薄紅梅なるは」、、といった鮮烈な印象と『日記』の描写にはどうしても距離がある。

対して、『日記』の「若くうつくしげ」だけれども女房集団を管理できていない様子は、まるで『源氏』の女三宮である。20歳そこそこで未熟だったのもあるだろうが、『枕草子』の定子は17-24歳くらい。女房のやりすぎを窘め、気遣う理想的な女主人としての描写されている。(小右記などでは彰子は賢后と評される一方、定子の還俗前後の振る舞いなどはあるまじきとされ、逆の印象であるが。。)

実際に女主人の資質に差があったのか、それとも記録者の描写力か、執筆姿勢の違いか。歴史記録が描く人物像は分からないないものだなあと思う。

”表現方法の特徴” 

紫式部日記の内容をほぼ引き写したとされる栄花物語と比較し、『日記』に同時代人でなければ類推できない表現や、道長一家よりも仕える側を主語とした表現が多いことに着目する。これらを紫式部日記の大部分の執筆動機が「道長からの要請」でなく「友人にあてたもの」である論拠としている。

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式部は「宮仕えする前の友人達は、きっと私のことを恥知らずだと思っているだろう」と嘆く。

『日記』がもし友人にあてたものであるなら、その人はおそらく「家の女」であったのではないか。

宮仕えへの憂愁をことさらに描いた動機はそのあたりにあり、実際には、式部は自身の才が認められることをそれなりに是としていたはずだ。しかし、世間の、そして自身に内面化した価値観ではそれは隠さなければならない。

『日記』の消息文的部分では、自身に対する 「おいらか」との評を「バカにされた」と捉え、「癖ぐせしくやさしだち、恥ぢられ(癖があって、でも控えめにして立派な)」人を嫌う。

…彰子の女房集団が沈滞してしまったことを批判した紫式部は、案外、出しゃばりや色めかしい人の突破力を評価していたのかもしれない

 「行く末ろくなことがない」とこき下ろした人に対しては、やはりアンビバレンツな想いがあったのだろうと勘繰る。